大学院の変容

2000年5月18日記す(2001年5月、補足を書く)

大学院の状況を,僕が, 大学院の学生だった頃(1984年まで.以後,「」と呼ぶ)と, 僕が大学へ教官として赴任して以降(1992年から.以後,「」と呼ぶ) とで比べると,大きく変わった点が2つあります.

僕は,うかつにも,それがどんなに決定的な違いをもたらすかを軽視して,昔と同じような研究室運営をしてきてしまいました. しかし,以下のように,もはや大学院は,質的に変容しているのでした.だからどういうふうにしたら良いかは,正直言ってまだ判りかねています. しかし,以下のようなことは,大学院を目指す学生さん−特に,理論の研究室に入って将来アカデミックポスト(大学の教官など)に就きたいと思っている人−は、皆,認識しておいた方が良いと思うので,ここに公開します.

なお,具体的にあげる数字は,すべて,僕が修了した,東京大学理学部物理学科と理学系研究科物理学専攻の数字です. 他の大学・学部・専攻では,数字を手直しする必要があるとは思いますが,定性的には同じかもしれません.

大学院の状況が,昔と今で大きく変わったのは,次の2点です.

1. 大学院重点化で,大学院の学生定員が,3倍に増え,学部定員 を上回るようになった.(昔は,学部定員より,何割か少なかった.)

2. 学振や理研などの(有給の)ポスドクの制度ができた. (昔は,ポスドクといえば,海外へ行くしかなかったので,ポスドクになるのは 競争率がとても高かった.だから,「定員」で表現すれば,おそらく10倍以上になっていると思われる.)

理学系研究科物理学専攻の場合には,大学院に進学する人の大多数は, 将来,アカデミックポスト(大学の教官など)に就くことを希望しています. そこで,「学部を卒業してからアカデミックポストに就くまで」という 観点で考察してみます

学部定員も,アカデミックポストの数(教官定員)も,昔と今とでそんなに変わらないので,「学部の学生のうち,何割がアカデミックポストに就くか」という割合は, 昔と同じです.つまり,出発点(=学部学生)から, (この考察における)目標地点(=アカデミックポスト)を眺望すれば,学部学生 --> アカデミックポストに就く,ということの困難さは,昔も今も同程度です.(最近、「就職難」ということが強調されますが、実際には、昔よりも就職難の度合いが増したということはないのです。もちろん、昔と同程度の就職難ではありますが。)

ところが,その途中の通過点(大学院,ポスドク)においてだけ, とんでもなく定員が増えたのです.それは,何を意味するのか? 何をもたらすのか?それを,具体的な数字を入れて考えて見ましょう.

昔は,学部学生の3〜4割が,アカデミックポストに就きました. これは,大学院生の4〜5割が,アカデミックポストに就いた, ということです.大学院では,大学に来なくなる人が一定の割合で 発生しますが,それを1〜2割とすると,ようするに,大学にきちんと 来る大学院生だったら,その過半数が,アカデミックポストに就くことができた, ということです.

これを,今にそのまま当てはめると, 学部学生の3〜4割が,アカデミックポストに就ける. 大学院生の1.5割ぐらいが,アカデミックポストに就ける. 大学に来なくなる人を1〜2割とすると,ようするに,大学にきちんと 来る大学院生でも,2割ぐらいの人しか,アカデミックポストに就くことは できない,ということになります.

つまり,昔の大学院の研究室というのは,アカデミックポストに就けるような実力を持った人が過半数で,運悪くアカデミックポストに就けなかった人も, 紙一重の実力を持っていたのです.だから,先輩も後輩も同僚も,みな かなりの実力を持っていて,そんなレベルの高い中に身をおくことにより, 自分自身も緊張し,実力を高めることができる. そして,そういう周りに比べて,「平均より少し頑張ったかな」と思えるところまで行けばアカデミックポストに就ける. 一言で言えば、教官というプロの元に集まったセミプロの集団です。それが昔の大学院の研究室だったのです.

それに対して,今の大学院の研究室は,アカデミックポストに就けるような 実力を持った人はごく少数,ということになります.だから,「平均より少し頑張ったかな」 という程度では,とてもアカデミックポストには就けない.また、 せっかく実力のある人でも、研究室に入ると, 先輩も後輩も同僚もあまりたいしたことはないように思えて, 自分自身も気が緩んでしまいがちになる。つまり、一言で言えば、教官というプロの元に集まったアマチュアの集団です。それが今の大学院の研究室の平均像だと思うのです.(平均像だから,例外はありますが.)

この違いは,実に大きい(ということにようやく気付きました).

ここでちょっと注意しておきますが,「実力を持った人」というのは,日常会話にも良く出てきますが,それは,多くの場合,結果論です.つまり,あるていど結果が出たところで,その結果に応じて「○○くんは実力がある」とか言っているのです.だから,あらかじめ(入学時に)判るわけではありません。つまり、才能×やる気×努力で結果が決まるとすると、才能というファクターは、入試(特に、今の入試)では、たいして測れない。やる気と努力は、入学後にどうするか、ということだから、あらかじめ決まっていることではない。だから、あらかじめ判っていることは、「5〜6人に一人だけアカデミックポストに就けるような実力を持った人がいる」ということだけで、それがどの人かはわからないのです。(これは、教官によって見解が異なります。入試だけで判ると豪語する人もいれば、入学後1ヶ月で判るという人もいます。一方、僕のように、「実際に論文を書かせて見るまでわからない」という教官もいます。)

補足:大学院の入試問題を昔のものと比べて、「レベルが変わらない」とか「かえって今の方が難しい」とか言う人がいますが、これは全くのナンセンスです。立場上、あまり詳しいことを書くのは差し控えますが、簡単に言えば、同じレベルの問題でも、受験生の学力に応じて採点基準を調整すれば、受験生の学力に関係なく、平均点を常に一定値(たとえば50点)にしてしまえるからです。(というか、無理にでもそうしないと、たとえば大半がゼロ点になってしまっては、入試として成立しなくなります。)最近採点をしたある先生が、「こんな答案に△△点をあげるような採点をするなんて、犯罪行為に近い…」と言って嘆いていたことを付記しておきます。同様の理由で、異なる研究科や大学の入試の難易度を、入試問題の難易度で比較するのも全くのナンセンスです。
 

…この続きは,また書きます.