混合状態の純粋状態への分解の非一意性     1/12/25(火)


先週は、基研研究会「場の量子論の基礎的諸問題と応用」に出席した。出席者のほとんどが、素粒子論の研究者、または素粒子論がご専門で凝縮系(量子ホール効果など)も研究されている研究者、という方々だったので、僕は異色の出席者だった。世話人の方から、「素粒子の研究者が物性の研究会に出ることはあるけど、逆はほとんどない。どうすればそれを増やせるのだろう?」と相談された。そう言われてみれば、最近の凝縮系物理には、素粒子論からいろいろな概念を輸入してくることが盛んな分野があるのに、その成果をもとにして素粒子分野に逆上陸するような人がほとんどいないというのは不思議なことである。しかし、僕にはその理由はわからないので、残念ながら名案は出せなかった。

それはともかく、僕は、有限サイズのマクロ系における異常な量子状態の環境や測定に対する不安定性、の話をした。質問はたくさん出たが、質問された方と僕との間で、なかなか意志の疎通がとれないような部分もあった。つくづく、短い時間で異分野交流するのは難しいと思った。帰りのバスの中で続けた議論の結果なども合わせて、後で考えてみると、僕が発表の中で省くべきでなかった最大のポイントが浮かび上がってきた。そういえば、これは、素粒子論の研究者の方々に限らず、凝縮系物理や統計物理等、他の多くの分野の方々と話していても、意志の疎通を阻ぶ最大のポイントのひとつであるような気がしてきた。

その、説明すべきだった点とは、「混合状態を、純粋状態の古典的混合へ分解する仕方は、一意的でない」という事実である。この事実があまり認識されていない理由は、普通の量子論や統計力学の本で、混合状態を次のように説明しているからであろう:

誤った記述:ある量子系の状態が、確率 w(a) で状態 |a> にあり、確率 w(b) で状態 |b> にあるような状態を混合状態と呼び、それを密度演算子 ρ=w(a)|a><a|+w(b)|b><b| で表す。
 
この記述が誤りであることを明確に述べているのは、量子測定や量子情報や量子光学の本を除くと、僕の知る限りでは、ランダウの統計物理(section 5)だけである。(ランダウが以下に書くことを理由に「誤りである」と書いたのかどうかは、ランダウの文章からは判定できないが、とにかく誤りであるという指摘をしている点で、統計物理では唯一の本である。)

どうして誤りであるかと言うと、逆に密度演算子 ρ=w(a)|a><a|+w(b)|b><b|が与えられた時に、これを、「確率 w(a) で状態 |a> にあり、確率 w(b) で状態 |b> にある」と一意的に解釈することができないからである。つまり、|a>と|b>の線形結合で書ける、別の状態の組|a'>と|b'>を用いて、「確率 w(a') で状態 |a'> にあり、確率 w(b') で状態 |b'> にある」とも解釈できてしまうのである。しかも、このような分解の仕方は、無限種類ある。

このことが、どうして僕の上述の研究に関係するかというと、僕の発表を聴いた人の中に、次のような期待を抱いてしまう人が少なからずいらっしゃるらしい、と気付いたからである:『環境とかノイズの元で、マクロ量子系の時間発展を追うと、異常な量子状態は異常に速くdecohereする、というのが主張ならば、その時間発展をさらに追い続けて、最終的に正常な量子状態へと時間発展することを示せるはずではないか?そこまでやってみせてよ。』

しかし、測定を考慮しないかぎり、環境とかノイズだけでは、そのような事は、原理的に不可能なのである。つまり、異常な量子状態であるsymmetric ground state を初期状態にして、統計的に対称な(対称でないと、単なるヤラセになってしまって無意味です)ノイズを加え続けても、せいぜい、symmetry breaking states の対称な混合へと発展するだけで、そのうちのひとつの symmtery breaking state が終状態になることは、絶対にありえないのである。これは、対称性と、上述の密度演算子の分解の非一意性から明かである。

だから、僕と宮寺君の(環境とかノイズを加えるバージョンの)理論から言えることは、
「初期状態が異常な量子状態なら、異常に速く壊れる」
「初期状態が正常な量子状態なら、そんなに速くは壊れない」
ということで、つまりは、
「初期時刻に、何かの理由で、異常な量子状態ができていれば、それは異常に速く壊れるし、正常な量子状態ができていれば、それはそんなに速くは壊れない」
ということなのである。

これで不満足であるとするならば、測定に対する安定性の議論を持ち出すしかないのである。そういえば、P. W. Anderson の Basic Notions of Condensed Matter Physics という有名な本には、相転移現象における、measurement theory の重要性が触れられている。内容的には大したことは書いてないが、measurement theory の重要性に気付いているあたりは、さすがという他はない。

いずれにしても、量子論は、そのごく基礎的な部分で、あまり認識されていない事項が多すぎるように思う。そろそろ、「量子論II」という講義ノートを書くべきかな…。その前に、異分野の人たちに理解してもらえるような発表の仕方をきちんと考えねば…。