ミクロとマクロを繋ぐ (1)  「同じ状態・違う状態ってなんなのさ?」


2007/06/02


ある先生に、「清水さんの本を教科書として使っていると、なぜ他の本の記述では不満 で、このように しなければいけないのかがわからない点が多い。もちろん時間をかかけて考えればわかるだろうが、忙しくてその時間はない」と言われました。他の本の悪口の ようなものは、よほど広く蔓延していて害がある誤解以外は書かないようにしているのですが、その先生によると「そういう事こそ読む側には有益だ」というこ とです。確かに、前進するためには「どこがダメか」を明らかにするのが出発点です。そこで、時間をみてポツポツと書くことにします。(膨大な量になるの で、永久に終わらないでしょうが…。)


僕の熱力学の本では、「平衡状態」とか「状態量」を定義するために、 まずp.46で、「(マクロに見て)同じ状態・異なる状態」の定義から始めている。

なぜ、そんなことをするのか?

比較のため、有名な、久保編「大学演習 熱学・統計力学」の記述を見てみよう。これは演習書ではあるが、普通の教科書を遥かに凌駕する(説明がやや不親切な点を除けば最高レベルの教科書として通 用する)素晴らしい解説が付いていることで有名であり、僕の推薦図書である。(推薦する本に不満があるのはおかしいと思う人はここの冒頭部分を参照)

この演習書の中から、上記の問題に該当する部分を見てみよう。

1.6節に、この演習書の(に限らずたいていの教科書の)論理構成でとても重要な位置を占める、熱力学第1法則がある。曰く:

系が最初の状態1から最後の状態 2まで変化する場合、その系に外界から与えられる仕事A, 熱量Q, 質量的作用量Zの総和は状態1と2とによって定まり、途中の経路によらない。すなわち
    U2 - U1 = A + Q + Z

そして、その物理的意味として、p.6に

熱力学第1法則は内部エネルギー Uが状態量であ ることを主張する。

とある…この記述をおかしいと感じないだろうか?

状態1から、過程aによって状態変化させた場合と、過程bによって状態変化させた場合とで、最後の状態が同じ状態2であるとは、どういう意味か?どうやって確かめるのか?熱 力学でいうところの「同じ状態」は、ミクロに見ると(ほとんど必ず)異なる状態なので、決して自明ではない。(ミクロに見た場合の「同じ状態」の定義も量子論だと自明でないが、それは僕の量 子論の本を見て欲しい。)

僕の本では、p.46で、

あらゆるマクロ変数の値がことご とく一致すれば、(マクロに見て)同じ状態である

という定義をしている。もしもこの常識的な定義を上記の演習書にも当てはめてしまうと、「あらゆるマクロ変数」の中に、当然ながらUも含まれてしまうか ら、U2の値が過程 aの終状態と過程bの終状態とで同じ値をとることは、「終状態がどちらも状態2である」という言明の中に含まれてしまう。同様に、初期状態がどちらも状態 1であったという言明の中に、U1が過程aと過程bで等しいことも含まれてしまう。従って、上記の演習書の記述は、まったくのトートロジーで意味を成さない

このトートロジーを救うためには、この演習書では「同じ状態」の定義が上記の常識的な定義とは違う、と考えるよりない。そこでp.2にある「熱平衡状態」 と「状態」の定義を、「上記の常識的な定義とは違う」という前提で解釈してみよう。この前提のもとでは、温度(や圧力や物質量)が同じであれば「同じ状 態」としていると解釈せざるを得なくなる。(これは、温度を出発点にしている教科書でしばしば採られる立場である。)

ところが、そのように解釈すると、1次相転移がある系では、論理が破綻する。温度や圧力が同じでも、Uの値が異なるような状態たちが出現するからだ。(僕 の本の15章に詳しく解説した)

また、よく見かけるように、「熱力学第一法則はA+Q+Zが状態量になることを主張している」という解釈もありうるが、それは演習書の(上で引用した p.6の)記述とは異な るし、そもそも「A, Q, Zの定義はなあに?」というのが問題である。「同じ状態」の定義をしないまま、これらをきちんと一般的に定義しようとすると、またまたトートロジーへと落 ち込んでゆくだろう。

というわけで、僕の熱力学の本では、「(マクロに見て)同じ状態・異なる状態」の定義から始めているのである。

なお、その定義に登場する「マクロ変数」の定義は何か?という問題が残るが、僕はそれは、

系の体積に無関係な有限体積内の 場の関数(=局所可換測量)の系全体にわたる和

を基本にして考えれば良いと思う。(温度などは、これから誘導された量として出てくる。)ただし、この問題はまさにミクロとマクロを繋ぐという大問題だか ら、まさに僕の現在進行中の研究テーマのひとつであり、完結しているわけではない。しかし、上記のようなあからさまなトートロジーよりも、はるかに前進し ていると思う。まさにこの「「マクロ変数とは何か?」という点を明らかにする ことこそが今後の統計力学の重要な研究課題だということも、このように論理を整理することにより、明確になるわけだ。

なお、「状態」を無定義語として、その間の同値関係も(Uと無関係になぜか)あらかじめ与えられているとして理論を作るのもひとつの手だが、僕は、そうい う理論は物理の理論ではないと思う。