しつこさ  2/ 1/18(木)

 (2/ 3/ 4(月)に少し補足)

尊敬できる物理学者たちは、みな、非常にしつこい。偏執狂とも言えるほどである。しかし、そうだからこそ、良い仕事ができるのである。 これは当たり前のことだが、一応、理由を書いておこう: 研究は、未知への挑戦だから、そこらじゅうに困難が待ち受けている。 困難に突き当たるたびに、これはダメだな、と挫けそうになる。 しかし、挫けたら、その時点で研究はおしまいだから、 簡単に挫けてしまう人は、永久に、良い研究成果を出せない。

諦めの典型的なパターンをいくつかあげると、

1.計算ミスとかバグで否定的な結果が出た時に、 「この計算結果はおかしい」と思うのではなく、「この計算結果からして、この研究はダメだ」と判断して研究を放棄する。 後者の方に傾く理由は、「きっと、もっと良い研究があるから(幻想!)、 この困難な研究をここで放棄して乗り換えれば楽だ」 という意識が(無意識のうちに)働いているのだろう。そんな幻想に惑わされていては、永久に成果は出ない。

2.肯定的な結果が意外と簡単に出てしまって喜んだ後、それが計算ミスとかバグだったことに気付いた時に諦めてしまう。 冷静に考えてみれば、まだ研究は実質的には 一歩も進んでいないわけで、 ここで諦めるのは論理的にもおかしいのだが、 現実には、諦めてしまうケースをよく見かける。

3.当初の見通し通りの道筋ではうまくいかない、と判ったとき。 研究は未知への挑戦だから、途中で道筋の修正をするのは当然なのだが、 現実には、諦めてしまうケースをよく見かける。 道筋の修正を重ねた結果、当初の見通しとはずいぶん違う方向に 成果が得られることも少なくないが、それが研究と言うものだ。 何か獲物を得るまでは、放棄してはいけない。 しかし、現実には、設計図通りにプラモデルをくみ上げるような作業と混同し、そして、そういう間違いのない設計図を学生に与えるのが指導教官の役割だと勘違いしているケースをよく見かける。

もちろん、今の自分には絶対に無理なような目標を追い続けていても困るので、見極めも大事だが、諦めと見極めとは違うのである。例えば、見極めをつける時は、一旦は退却しても、いつか(研究目標に多少の修正を施すかもしれないが)再挑戦しようと考えているし、何か獲物を得ている(たとえば、その獲物だけで論文が書ける)。それに対して、諦めるときは、2度とそのテーマには挑戦しないし、何も獲物を得ていない。

こんな、いわば当たり前のことをわざわざ書いた理由は、若い人たちの中に、すぐに諦めてしまう、という病気が蔓延していると感じているためである。幸い、この病気は、本人が自覚しさえすれば直るので、この駄文が、少しでもその役に立てば本望である。

※ 昨日、ほんの10分程度公開して、削除した「雑記」がありました。これは、最終的には良い結果をもたらしたのですが(Tさん、ありがとうございます)、削除後に雑記帳を見た人は、ファイルの日付だけ更新されたことを不審に思われたかもしれません。そこで、削除した雑記のなかで「そのあたりの詳しいことは、そのうち書くとして」と書いた内容を書いて公開することにしたのが、この文章です。