数値計算の価値  (2/ 4/ 9)

RENAntennaを見ていると、数値計算の評価のことがちょっとした議論になっている。議論になっているのは、数値計算もする人ではなく、数値計算しかしない人のことらしい。

両者の境界は難しい。数値計算のある論文もない論文も書いたことのある人は、「数値計算もする人」だろうが、たとえ数値計算のある論文しか書いたことのない人でも、「数値計算しかしない人」とは言えない例は多い。まあ、そこは、雑記帳の気軽さで、そういう人の中で、誰が本当に「数値計算しかしない人」かは、みんなわかっているとして書き進めよう。

まず、問題のなさそうな、「数値計算もする人」について書くと、僕は、自分の院生には、大学院生時代に一度は大きな数値計算をすることを推奨している。つまり、少なくとも大学院生時代には、「数値計算もする人」であって欲しいと言っている。その理由は、自分自身、数値計算の経験(もう昔のことだけど)は、とても役に立っていると思うし、いまや数値計算は理論の有力な武器というか道具のひとつになっているとも思うからだ。自分の学生には、できるだけ充分な武器・道具を持たせたいと思うのは、当然だろう。(もっとも、Mくんのように、ついに数値計算をしないまま、立派に学位をとってアカデミックポストに就いた人もいるが。)

さて、問題の、数値計算しかしない人だが、僕は単純に、このグループの人の研究は、「理論でもなく実験でもない、第3の分野である計算物理」(これは、いろんなところで見かける宣伝文句です!)なんだと、素直に理解している。数値実験と言っても良いかも知れない。実際、本来の意味の実験ではないことは確かなのだが、すばらしい実験結果を見せられた時と同じような感動を覚える数値計算がある。それは、まだ充分な理論的な解析がなされていないことが少なくないが、結果を見せられただけで感動するのである。だから、計算物理には、ちゃんとそれなりの価値があると思う。

まあ、田崎さんのおっしゃりたいことは、なんとなく判るんだけど、もしかして田崎さんは、「数値計算しかしない理論家」のことを批判しているのかな、とも思うのです。(ちがったらすみません。)