量子ゼノ効果

02/10/08

「量子ゼノ効果」というのをご存じでしょうか?

不安定量子系(例えば、励起原子)が、安定状態へ遷移するまでの寿命を測りたいとする。そのために、この系が遷移したかどうかをチェックする測定を、短い時間間隔τで、遷移が確認されるまで、時間τごとに繰り返し行う。これを、同じ初期状態にある不安定量子系について何回も行って結果をプロットすれば、指数関数のようなグラフが得られ、それから平均寿命が求まる。この、ありふれた実験のやり方について、量子論の射影仮説(いわゆる「波束の収縮」)を単純に適用すると、次の意外な結論が導かれる:『τを短くしていくと、ほとんど遷移しなくなったり(量子ゼノ効果)、逆に、遷移が加速される(反ゼノ効果)。』要するに、『測定する行為自体によって、量子系の遷移確率が変わってしまう』という予言が得られるのだ。この予言が正しければ、「あまり高い時間分解能で実験を行うと、間違った結果を得るようになってしまう」ということなので、物理実験学の教科書を書き換えなければならなくなってしまう。

しかし、この予言は、様々な批判を受けてきた。量子測定の一般論によれば、素朴に射影仮説を適用することは、一般には誤った結果に導かれる。たとえば、仮に、原子の上位準位にいるか下位順位にいるかをエネルギー測定によって区別するとすると、τ が1/遷移エネルギー より短くなることは、時間とエネルギーの不確定性関係に矛盾する。そもそも、理論で仮定されているような理想的な測定(測定に要する時間がゼロで、測定誤差がゼロで、測定後の状態がぴったり射影仮説で与えられる)は、実際の物理測定ではあり得ない。これは、おそらく、実際的な意味だけではなく、原理的にあり得ないのだと思う(この論文を参照)。

そこで、量子測定の一般論に基づいて、測定器の一部を量子系として扱う理論が多くの人々から提出されてきた。しかしながら、それらは、測定器が直接、不安定量子系に作用するモデルであった。また、実験もいくつか行われているが、それらも皆、測定器が直接、不安定量子系に作用するような実験であった。そういう「直接測定」の場合には、たとえ古典系でも、非測定系のダイナミックスが測定器の作用で変更されてしまうわけで、遷移確率が変わるのは当然であり、なんら不思議でもなく、ましてや量子系に特有の現象でもない。真に面白くかつ重要なのは、測定器が不安定量子系に直接作用すことなく、たとえば、遷移の際に放出される光子か何かを検出して、間接的に遷移をチェックするような、「間接測定」の場合である。しかも、光子が来るまでは検出器はいっさい信号を出さない、いわゆるnegative-result measurementの場合である。これなら、『遷移の際に放出される光子を検出する 検出器を設置して、ただじっと遷移するのを待っている だけで不安定系の寿命が変わる』という予言になり、古典系では絶対に ありえない量子系独特の現象と言える。 そして、一般の物理実験に対する影響力を考えると、できるだけ現実的なモデルで答えを出す必要がある。もちろん、時間分解能も検出効率も理論から自然に出てくるものでないといけない。それではじめて、量子ゼノ効果・反ゼノ効果に対する完全な解答が得られることになる。

越野君(現:理研)と僕は、最近、これに成功した。結論を言うと、量子ゼノ効果・反ゼノ効果は、測定器が一定の条件を満たせば、確かに起こりうる。その条件をきちんと明示してあるので、やがては実験的に検証されるであろう。(どなたかやって下さいませんか?)しかし、我々の理論の一番の重要性は、一般の物理測定の基礎を与えるところにあると考えている。近年の実験技術の飛躍的な進歩と、実験対象の大幅な拡大を考えると、あまりに高精度の測定をしたために、その気がなくても量子ゼノ効果・反ゼノ効果で測定結果が狂ってしまうことが出て来るであろう。その場合の対策が明示してあるのもウリなのである。(興味のある方は、論文をみてください。)

この論文は、別の意味でも感慨深い。実はこの論文の内容は、越野君の修士論文のテーマだったのだ。今から思うと、このレベルの論文を修士論文で求めたのは無謀だったと思う。計算はそれほど高度なテクニックを要しないが、測定の一般論を身につけ、それぞれの要素の意味を理解する必要があるので、修士論文には(かなり)無理があった。しかし当時は、「越野君の優秀さから言えばできる!」と信じ込んで「これを読めば測定理論の要点が解る」などと論文をポンと渡しただけでハッパをかけていた。(若気の至りだったなぁ…。)結局、途中の予備計算の結果を、吸収性媒質中でのCavity QEDの論文として Phys. Rev. A に発表して、そのまま研究が中断していた。(予備計算でもすんなり「Phys. Rev. る」ことができた…。)それが、最近になって、 Nature にまで量子ゼノ効果の論文が出て、世の中が騒がしくなってきたので、 あわてて越野君に声をかけて、やり残した部分を完成させたのである。 彼は今は他の研究機関で立派にポスドクを務めているが、院生さんとの共同研究は、 思わぬ時まで続くものだな、と思った。そして、修士課程の時の越野君に、 「この問題をこれこれこうゆうふうに解いて、こういう結果を示そうよ」 と熱く語った夢が実現されて、しばし感慨にふけったのであった。


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