非平衡定常状態の変分原理

03-11-19

 

10年ほど前,非平衡定常状態を研究していた頃,「ひとたび非平衡状態になれば,応答が線形か非線形かというのは,本質的な違いではないな」という感触を得た.「本質的な違いが出るのは,駆動力 v と,それに誘起される流れ i との間の関係が一対一である場合とそうでない場合だ」と思ったのである.従って,「viが一対一に対応するのであれば,その関係が線形か非線形かにかかわらず,同じ変分原理で記述できるだろう」と一人で納得し,それ以上追求しないままになっていた.

 

月日が流れ,最近,田崎さん@学習院と非平衡統計物理について雑談していたら,ふと上記のことを思い出し.間違ったことを言ってしまった.「応答が非線形でも最小発熱の原理が成り立つ」と言ってしまったのだ.もちろん,即座に田崎さんに反例を挙げられて沈没し,「おかしいなぁ…」と思っていた.最近ようやく少し時間ができたので(って,〆切を過ぎた原稿があるのに???),電車の中であれこれ考えたら,やはり,かつての自分の感触は正しいことが確認できた.つまり,

 

·         viが一対一に対応するのであれば,その関係が線形か非線形かにかかわらず,ある関数 J の極小値が,正しい非平衡定常状態を与える

 

·         しかも,この関数 J は,平衡熱力学における熱力学関数と同様に,相加的である.

 

ことが判った.この簡単な変分原理は,今まで知られていなかったのかな?手元にある熱力学や統計力学の本を見る限り,この関数のことはどこにも書いてないけど,なんとなく,電気回路屋さん辺りが,ずっと前に発見しているような気がするのだが….(だれか知っていたら教えてください!)

 

で,まあ,ここまではスムーズにできたのだが,それから何か物理を創ろうというところで,色々と考え込んでしまう.そもそも,変分原理が発見できたのは嬉しいことなのだろうか?

 

熱力学では,理論を変分原理の形で表すことによって,単にマクロ物理量の熱平衡値を予言するだけではなく,不可逆性を導きだし,さらに,変分関数が確率を与えるという付加的な仮定を設けて揺動散逸定理を導くことができた.これはとても嬉しかった例である.

 

一方,力学では,ニュートン力学をLagrangeHamiltonの変分原理で表したからと言って,見通しがよくなるだけで,本質的には何も変わらない.つまり,予言できる内容には変わりがない.これは,数学好きにとっては嬉しいかもしれないが,物理としては大して嬉しくない.(変分原理の本質的な御利益が出るのは,統計力学や量子力学という,力学の枠外にある事を議論する時だけである.)

 

上記の非平衡定常状態の変分原理についても,嬉しい方の議論にもっていくことは,数学的にはできる.つまり,平衡熱力学をそっくり真似して,たとえば揺らぎの理論を作ることができる.Jは相加的なので,ゆらぎの確率分布は,巧い具合に,いわゆる「大偏差的性質」を持つので,数学としては美しい形になる.しかし,そうして出てくる結果は,物理的にはあまり嬉しくないのだ.なぜなら,非平衡定常状態についての様々な知見(過去の実験的・理論的知見,特に自分の仕事(論文リストの31,38等)による知見)と比べてみると,特殊な系にしか正しくないことが判るからだ.(もちろん,より広範囲の系について正しい結果を与えるように「拡張」することはできるのだが,今のところ,そのような拡張に意味があるのかどうか不明である.)

 

特殊な系だけで正しい予言は,物性理論としては良いのだが,統計力学としてはどうだろうか?特に,非平衡定常状態の揺らぎに関しては,どんな理論的予言についても,それがよほどおかしな予言でない限り,それに合う揺らぎを示す系を,実験的に作れてしまう(少なくとも電気伝導系では).だから,「我々の一般論は実験で確認されたから正しい」というのは,実験が「選ばれた系」について行われたのであれば,統計力学としてはあまり意味がないように思うのである.

 

というわけで悩んでいるのだが,このように悩んでいると,様々な事が見えてくることも確かである.それらについては,長くなったので次の機会に.(こういう議論がゆっくりできる機会があるといいのだけれど….)