非平衡定常状態のモデル

05-06-15(追記05-06-21

 

非平衡状態に熱力学や統計力学のような理論はあるのか?

 

この大問題については、昔から様々なアプローチが行われてきたようだが、理論を構築する上で、信頼できる実験と、実験に近い結果を与えるモデル計算は必須である。その理由は、

 

ア)物理は自然科学なので、いかに数学的にきれいであろうとも、実験と一致しなければ意味がない理論になってしまう。

 

イ)従って、純粋に理論的な思索だけで意味のある理論を作るのはほとんど不可能だ。思索のウェイトが一番大きい成功例とされる一般相対論でさえ、等価原理という実験事実を主柱にしている。ましてや、(一般相対論のもう一つの主柱である)一般相対性原理にあたる指導原理がない非平衡熱統計力学では、思索だけで意味のある理論を作れる可能性は無限小だろう。

 

というわけで、様々なモデルが提案され、解析されてきたわけだが、どうも気になることがある。ア)を忘れたモデル計算、即ち、理論のための理論というか、物理というよりも数学演習になってしまっているようなモデルがやたらに目に付くのだ。極めて優秀な才能あふれる人々が、そういう計算に貴重な才能を浪費してしまっているのが哀しくて仕方がないので、一部の方々におしかりを受けることを覚悟で、現実の物理系に関する感覚を(理論家のわりには)持っている理論家として、率直な意見を書こうと思う。

 

その第一弾として、今回は、古典粒子系を「本質を失わないまま簡単化した」と称する、一連の(よく見かける)モデル達で、「あたりまえのこと」が失われていることをすぐ後で書く。そのために、まず古典粒子系で、その「あたりまえのこと」を復習しよう。

 

1. 古典粒子系の各時刻における状態は、位置と運動量の組

              {q,p} = (q_1, p_1, q_2, p_2, ...)

により定まる。

 

2. 状態の時間発展規則は、質量などを全て1にして、時間を離散的にして書くと(離散化に伴う技術的な話は割愛した省いた形で書く)次のようなものである:時刻(t+1)における状態{q(t+1), p(t+1)}が、その直前の時刻tにおける状態{q(t), p(t)}と、外力Eと、相互作用f_k(q_1(t), q_2(t), ...)により、次のように決まる:

 

              x_k(t+1) = x_k(t) + p_k(t)

              p_k(t+1) = p_k(t) + E + f_k(q_1(t), q_2(t), ...)

 

言うまでもなく、非平衡定常状態で最も重要な量は「流れ」である。以下の議論は本質的にはエネルギーの流れだけがあるときにも当てはまるが、話を簡単にするために、運動量の流れもあるとしよう。つまり、全運動量

              P = p_1 + p_2 + .... 

がマクロな値を持っているとする。すると、明らかに、

 

A. 1より、Pの値が異なる状態は異なる状態である。{q}(特にその平均値)だけ見ていては平衡状態と見分けが付かない非平衡定常状態も珍しくないが、Pの値(たとえ平均値でも)により両者が明確に区別できる。

 

B. 2より、P(t)がマクロな値を持っているかどうかで、{q(t+1), p(t+1)}の値はマクロに異なってくる。つまり、ある瞬間に非平衡定常状態にあったかどうかが、その直後の状態の決定に、主要な寄与をする。

 

もちろん、完全に並進対称な系では、Pの絶対値が意味を失ってしまうので、

 

3.「P=0が平衡状態におけるPの値である」ことを規定するような、別の系なりポテンシャルなり境界条件なりがあり、系はそれの影響を受ける。

 

ということも重要である。(別のよく見かけるモデル達の、これに関する問題点は別の機会に書く。)

 

さて、このような系を簡単化するために、しばしば、空間も離散化したモデルがとられる。その際に、次のようなモデルにするのを、よく見かける:

 

1'.系の各時刻における状態は、各サイトに粒子がいるかいないかを表す変数 s_k (=0, 1) の組

              {s} = (s_1, s_2, ...)

により定まる。

 

2'.状態の時間発展規則は、時刻(t+1)における状態{s(t+1)}が、その直前の時刻tにおける状態{s(t)}の適当な関数(「外力」Eの有無で形が変わる)により決まる:

 

              s_k(t+1) = F(s_1(t), s_2(t), ....; E)              (あるいは確率Prob[s_k(t+1)] = F(s_1(t), s_2(t), ....; E)

 

これと、1, 2を比較すると、重大な相違に気づく。まず、11’を比較すると、このモデルはAの要素を失っていることが判る:

 

A'. 「状態」を表す{s}に、平衡状態と非平衡定常状態を明確に区別できる変数がない。このモデルでは、ある瞬間の「状態」を見ても、平衡か非平衡かが区別が付かないのだ。(興味のある非平衡定常状態は、たいてい、{q}についてはマクロに均一だから、{q}だけ見ていては平衡状態と区別が付かない。)

 

もちろん、反論としては、

 

1''. このモデルの「状態」は、{s(t)}ではなくて{s(t), s(t-1)}で指定されると考えよ。そうすれば、s_k(t)-s_k(t-1)の和がP(t)になる。(つまり、{s(t)} <---> {q(t}}, {s(t)-s(t-1}} <---> {p(t)} と対応させよ、ということ。)

 

というものが考えられる。実際、このモデルを採用する場合には、暗にこれが仮定されているようだ。しかし、そうだとすると、22'が全く異なってしまう。つまり、このモデルはBの要素を失っていることが判る:

 

B'. このモデルでは、P(t)がマクロな値を持っているかどうかは、{s(t+1)}の値に全く影響しない。つまり、ある瞬間に非平衡定常状態にあろうが、同じ{s}を持つ平衡状態であろうが、その直後の状態の決定には全く影響しない。(ある{s(t)}を持つ非平衡定常状態のときの{s(t+1)}と、同じ{s(t)}を持つ平衡状態で時刻tに突然に外場EONにしたときの{s(t+1)}とが、完全に一致してしまう。)

 

このような近似が良くなるケースは、粒子が各サイトに遷移するやいなや(今の時間の単位で1よりも短い時間で)直ちに緩和して「記憶」を失ってしまうケースだけである。言い換えると、どんな時間スケールよりも短い時間で、どんな空間スケールよりも狭い範囲で(サイト1個1個のレベルで)、局所平衡が成り立つケースだけである。だから、このモデルが扱えるのは、局所平衡が成り立つような非平衡状態だけである。非平衡定常状態で興味があるのは局所平衡が成り立たないようなケースなのに、それには使えないのだ。もちろん、この種のモデルでも無理矢理に(Eを極端に大きくするなどして)局所平衡を壊すことはできるが、それはもはやモデルの適用範囲を超えているので、物理としては意味不明の、単なる数学演習をやっていることになってしまう。

 

対流が生じたりして{q}(あるいは{s})だけ見ても平衡状態と区別が付くような場合であれば、このような「damped limit」のモデルも意味を持つことがあるかもしれないが、非平衡定常状態の場合は、上に書いたように{q}だけ見ていては平衡状態と区別が付かなかったりする。たとえそうでなくても、やはり、A, B(の少なくともどちらか)の要素を失っているのに「非平衡だ!」と主張されても、筆者は面食らってしまうのである。

 

「○○の系で実験と合っている」という反論を聞くこともあるが、○○系は局所平衡が成り立っている系だから、「実験と合う」としても、局所平衡が成り立つ範囲だけである。繰り返しになるが、筆者が問題にしているのは、局所平衡が成り立つような場合にしか使えないモデルを、そうでない場合の解析に使ってしまうことのナンセンスさである。(そもそも、この種のモデルでは、局所平衡が成り立つ範囲では、実験とか既知の理論に合うようにモデルを調整できるので、その範囲で実験に合わせられるのは当たり前である。)

 

モデルをできるだけ簡単化するのは当然だが、本質を失ってしまっては意味がない。理論ばかり見ていないで、現実の物理系のことを勉強するなり思い浮かべるなりして、モデルが現実系の(理論の解析対象とする物理現象の)本質的要素をきちんと保っているかどうかを常にチェックしないといけないと筆者は思う。物理は応用数学ではなくて自然科学(実験科学)なのだから。そういう目でみると、今回取り上げたようなモデルは、それこそ見た瞬間に「これは本質を損なっているな」と感じた。その理由は、ここに書いた以外にもいろいろある。

 

そういうわけで、筆者らは、モデルを作るときはいつも、見たい物理の本質的な要素を列挙することから始める。そうやって作った非平衡定常状態の本質的要素を持っているモデルとそれから得られた結果については、そのうちに書くことにしよう。