量子統計力学の深奥 その3

量子純粋状態による統計力学

last update: 2012/09/18, first appeared: 2012/09/17

前回の雑記で触れた杉 浦君との論文は、PRLのEditor's suggesntion に選ばれた。たしかに、物理の礎をなす基礎理論のひとつである統計力学を、全く新しい形(統計力学の全ての計算をたった1個の量子純粋状態で済ませる)に 定式化した論文だから、広い範囲の方々に興味をもっていただけるように思う。

この研究は、その後も進展し、通常のアンサンブル形式と同じレベルまで、理論が完成しつつある。

通常のアンサンブル形式では、基本原理はミクロカノニカル集団で与えられ、そこから、カノニカル集団やグランドカノニカル集団が導出される。一見すると、 多数の集団が出てきてごちゃごちゃするように見えるが、それらは、「アンサンブルの等価性」により、結びついている。

つまり、異なるアンサンブル(集団)は、異なる「表示」(UVNとかTVNなど、独立変数の選び方)における、「基本関係式」(S(U,V,N)とかF (T,V,N)などの、完全な熱力学関数)を与える。熱力学では、異なる表示の基本関係式は互いにルジャンドル変換で結びついていて完全に等価である。 従って、統計力学における異なるアンサンブルも、熱力学的に完全に等価である。この事実を「アンサンブルの等価性」と言い、統計力学の最も重要な定理であ る。

ちなみに、熱力学で基本関係式がルジャンドル変換で結びついていることに対応するのは、統計力学では、異なるアンサンブルにおける「分配関数」(=密度演 算子の規格化定数)が、互いにFourier-Laplace変換で結びついていることである。

(哀しいことに、熱力学における異なる表示の等価性も、統計力学における アンサンブルの等価性も、一般には、あまりきちんと理解されているとは言い難い。やはり、きちんとした、熱力学や統計力学の教科書が広まることが重要だと 思う)

我々の新しい定式化も、これらと同じ事が言える。

既に出版した杉浦君との論文は、熱力学で言えば「エントロピー表示」(UVN表示)、アンサンブル形式の統計力学で言えば ミクロカノニカル集団、に対応する量子純粋状態(それを我々は、Thermal Pure Quantum (TPQ) State と名付けた)の理論であった。つまり、microcanonical TPQ stateの理論だった。

我々は今度は、熱力学で言えばTVN表示、アンサンブル形式の統計力学で言えばカノニカル集団、に対応するTPQ state を構築した。つまり、canonical TPQ stateである。これは、「アンサンブルの等価性」と同じ意味で、microcanonical TPQ stateと熱力学的に等価である。
このcanonical TPQ stateを直接的に計算するのは(アンサンブル形式の分配関数を計算するのと同様に)簡単ではないのだが、うまいことに、我々の先の定式化で容易に計算できるmicrocanonical TPQ stateの級数(重ね合わせ)として計算できる。そして、この級数の収束は非常によく、逆温度を任意の有限領域に制限すれば、その領域内で一様収束する。

つまり、canonical TPQ stateとmicrocanonical TPQ stateは、美しく解析的に結びついているのだ。

そして、canonical TPQ stateの規格化定数の対数が、
 自由エネルギー + 定数×N
になり、microcanonical TPQ stateの規格化定数の対数も、
 エントロピー + 定数ではないが容易に計算できるO(N)の補正
となる。

こうして、量子統計力学のまったく新しい定式化である、TPQ stateに基づく統計力学の理論がほぼ完成したのである。そして、前回の雑記で触れたように、の定式化は実用性も高く、(従来の式化式化を出発点とする)従来の計算方法ではとても計算できないような系の統計力学的性質を計算できるようなのだ。
論文は準備中であるが、とりあえず、今度の物理学会で、杉 浦君が発表する(20pAC-7)ので、興味がある方は聞いてみてください。ちょっと講演タイトルが、canonical TPQ stateによって計算しやすくなる物理量だけを強調していて変ですが。

おまけその1


上記の話を含む、量子統計力学の基礎的問題に関する大学院の講義を、今年の冬学期に駒場で行います。興味がある方は聴きにいらしてください。(東京大学の大学院生や、お茶の水女子大学のように単位互換のある大学の大学院生は、レポートを出せば単位も取れます)

講義名:量子物理学
日時:毎週水曜日13:00-14:30、10月10日(水)から1月30日(水)まで
場所:駒場Iキャンパス16号館8階827号室
内容:以下の通り(若干の変更の可能性あり)

量子統計力学の基礎的問題に関する最近の発展

統計力学の基礎的問題については、従来は古典系を対象にすることが多かったが、近年、量子系を対象にした研究が著しく進展しつつある。古典系と違って量子 系は、自然な測度を備えていることや、純粋状態でも確率的性格を持つことなど、本質的に統計力学と相性が良い。そのために、古典系では見えなかったこと が、量子系を対象にすることで、初めて明確に見えてきたのである。これらについて講義する。特に、1個の量子純粋状態が持つ統計力学的性質を明らかにし、 アンサンブルを用いない統計力学の新しい定式化を解説する。さらに、時間が許せば、線形応答理論の基礎的問題についても解説する。

1.概要
2.統計力学の原理の復習
3.等重率の本質
4.マクロ系の1個の量子状態の性質
5.アンサンブルを用いない統計力学
6.ミクロ状態のマクロ純粋状態への分解
7.アンサンブルの等価性にかかわる問題
8.可積分系は熱平衡化するか?
9.線形応答理論の基礎的問題

おまけその2


学部向けの統計力学の講義もやります。テキストは公開中の講義ノートです。興味がある方、統計力学を基礎からやり直したい方は、聴きにいらしてください。

講義名:統計物理学
日時:毎週月曜日10:40-12:10、10月15日(月)から1月28日(月)まで(ただし、変則的な週もあるのでこちらで確認してください)
場所:駒場Iキャンパス12号館1222号室
内容:以下の通り

  統計物理学の基礎を講義する。統計物理学とは、自由度が巨大で、自由度間に非線形の相互作用があるようなマクロな物体について、力学や量子力学と、熱 力学とのギャップを埋める理論であり、現代の物理学の主柱の一本である。マクロな物体については、運動方程式やシュレディンガー方程式を解くのは原理的に 不可能になるが、むしろそのことを逆手にとって論理が組み立てられる。これは、物理以外の学問を専攻する予定の学生さんにも、新鮮な刺激になると思われ る。統計物理学の講義や本は、先を急ぐあまり、とかく計算技術的な事に偏りがちで、肝心な基礎の部分がおろそかになりがちであるが、この講義では、駒場の 講義らしく、基礎の部分に重点を置いて解説する。従って、部分的には、物理学科における3,4年次の講義よりも高度な内容を含む事になる。
  なお、本講義を理解するには、力学と熱力学を履修していることが必須である。また、できれば、解析力学、量子論の基礎的な知識も有していることが望ましい。