これまでやってきた研究のかんたんな紹介

※ 文中の [ ] の中の番号は、業績リストの文献番号です。

清水は、量子現象全般に幅広い興味があり、この興味に沿うものであれば、分野の境界にはあまりこだわらずに研究対象にしてきた。このため、物理学の標準的な分類にあてはめようとすると、研究分野が広い範囲にまたがることになるが、理論家の場合は、必ずしも標準的な分類にあてはまる必要はないと考える。これが清水の仕事の第1の特徴である。第2の特徴は、マクロ量子系がマクロ物理学(熱力学)と整合する理由とか、測定の誤差や反作用のような、通常の(物性)物理の研究対象に比べて「より基礎的な事」から、逆に、量子干渉デバイスの原理的限界とか、波長可変量子井戸レーザのような「物理学の応用」にまでまたがっていることである。このように、研究対象が基礎と応用の両方向に拡大して行くのは、望ましいことであると考えている。第3の特徴は、民間企業に勤務していた関係で、理論屋でありながら、自らの理論的予測のいくつかを検証する実験を、若い実験家と協力して、自分自身のグループで行う事ができた点である(清水の寄与は、実験のやり方や、試料設計、結果の分析などだが(^-^;)。この経験は、理論モデルには含まれない現実の物理系の特徴を考えるための、貴重な財産になっている。

最初に行った研究は、グラファイト層間化合物の超伝導機構の研究[1,2]で、次元性の異なるキャリアが共存する場合、転移温度を決めるキャリアと異方性を決めるキャリアが異なりうることを指摘した。超伝導については、ずっと後になって、正負のキャリア(e, h)が共存する系で、片方の符号のキャリア(e)がわずかに多いときに、2種類のオーダーパラメーター< ee >, < eh > が共存する、特異な超伝導相が実現するという予言[65,70]も行った。博士論文のテーマとしては、電子間相互作用(U)とランダムネス(W)が共存する系の振る舞いを調べようと思い立ち、そのために新しい実空間数値繰り込み群の手法を開発して解析し、相図・励起状態の局在の度合い・局在スピンの大きさなどを、U と W の関数として求めることができた[3]。

会社に入ってからは、まず、半導体レーザーの理論解析を行った[4]。光の分布とキャリア分布が、相互に相手を規定するという複雑な系の振る舞いを捉えてデバイス特性を予測することに成功したその後、この解析の結果が、非点収差という難しい特性も含めて、よく実験に一致することが確かめられた[池田他、国際会議でのみ発表]。続いて、独特の波長可変レーザーを理論的に提案した[19,論文より先に日本・米国・ヨーロッパ特許を書いたので疲れてしまって、論文書きが実験の論文よりも遅くなった(^_^;)]。これは、それまでの波長可変半導体レーザーとは全く異なる動作原理で、高速に波長の切り替えができるものであるが、若い優秀な実験家と協力して、実際に、理論通りに動作するデバイスを作ることに成功した[7,8]。また、[19]で直感的に書き下した基本方程式が、動的特性をもきちんと記述していることを示した[18,24]。

非対称2重量子井戸を用いるこの半導体レーザーがきっかけで、低次元系の非線形光学応答の研究を始めた。特に、低次元構造を人工的に設計して、望みの非線形光学応答を示すようにする、という研究を行った[5,6,28等]が、その流れの中で、2光子吸収スペクトルが、通常の1光子吸収スペクトルでは捉えきれない豊富な情報を含んでいて、特に、低次元系のキャラクタリゼーションに有用であることを指摘した[9,16,28,37等]。また、これらの理論予測の一部を、実験家と協力して、実験的に確認することも成功した[12,29等]。これらの研究を通じて、低次元系の非線形光学応答の大きさには原理的な限界があるのではないかと気付き[17,元はJ1に発表]、それをもとに、超高速光演算の原理的可能性を論じた[33,40]。

超高速の光応答では、物質系(電子系)の量子コヒーレンスが保たれるように光を照射することが多いが、それを利用すれば、光を吸収させないで、メゾスコピック系の量子干渉電流を光で変調できることに気付いた[11]。さらに、この物理過程を、電子系だけでなく、光も量子力学系としてきちんと扱って解析することにより、光子数の量子非破壊測定になっていることが判った[20,47]。ここで、量子非破壊測定とは、測定の反作用が被測定量に及ばないような特殊な測定のことで、重力波の検出限界などに絡んで議論される。この論文は、物性物理で研究されている低次元系の電子輸送と、量子光学と、量子測定理論とを融合させた、全く新しい研究分野のパイオニアの論文であり(と清水は思っている)、分野の境界にこだわらずに量子現象を突き詰めてゆく清水の特徴が最も良く出た論文のひとつである。また、「古典散逸系(電流路や電源や電流計等)と量子系を結合させた時に、どんな場合に量子系に散逸が起こるか?」という面白い問題に対する、散逸の起こらない場合の例にもなっている。逆に、一見散逸が起こりそうもない系で独特の形の散逸が生ずる、興味深い例も発見した[46]。このあたりから、分野の境界も気にせず、基礎的・原理的なことから応用に近いことまで結びつけて考える、というスタイルができあがってきた。この他にも、物質中の量子光学として、励起子系の動的カシミール効果[50,54]、吸収性媒質中の共振器量子電気力学[51]、発光素子の光子統計[57等]、トンネルバリアで閉じこめられた低次元電子系の超放射現象[59等]と、様々な観点から研究を行った。

量子測定というのは、測定器という名の物理系と被測定系との相互作用を利用するので、標準的量子論の枠内で、測定誤差や反作用も計算できる。上述の量子非破壊測定器についてこれを計算した結果、測定誤差の下限を決めるものは、電子干渉電流の量子揺らぎであることが判った。このことは、この測定器に限らず、メゾスコピック系を利用した量子干渉デバイス一般に言えることに気付き、一般の量子干渉デバイスの、原理的動作限界を導いた[21,23,44等]。この仕事は、工学と物理の境界領域にありながら、物理屋にしかできない仕事だと思う。また、それまでの測定理論は、測定器と被測定系との相互作用ハミルトニアンを、都合の良い形に仮定して議論していたが、これらの研究を通じて、実在する物理相互作用(4つしかない!)を使うことの重要性に気付いた。つまり、相互作用の形と強さが限定されるために、測定に制限が出てくるのである[72]。そして、非破壊測定(より一般には、いわゆる第一種測定)の概念も、大幅に拡張しなければ意味がなくなることも指摘した[41,72]。これらの事実は、統計力学の基礎付けや、量子計算の可能性を論ずる際にも、ひとつのキーポイントになると考えている。

上述した電流の量子揺らぎは、電流の平均値が有限であるような、非平衡状態における揺らぎ(非平衡揺らぎ)なので、通常の揺動散逸定理(輸送係数と平衡状態のゆらぎとの関係式)では記述できない量であり、(線形)輸送係数には含まれない、系に関する様々な情報(たとえば、electron reservoir に関する情報)が反映される[J5]。この非平衡揺らぎが、系のサイズをメゾスコピックサイズからマクロサイズに増大させるにつれてどのように変化するかは、大変興味深い。清水はこの問題に取り組み、伝導体が、非平衡揺らぎについて、完全に古典伝導体として振る舞うのは、(弾性散乱長はもちろんのこと)位相干渉長や非弾性散乱長よりも長い、maximal energy relaxation length と名付けた長さ以上であることを示した[31,38]。非平衡揺らぎは、清水らが研究を始めた頃は、国内ではあまり興味を引かなかったが、最近は、広く興味を集めているようである。

非平衡揺らぎの大きさを正しく評価するためには、平均電流の大きさ(つまり、コンダクタンス)もきちんと評価する必要があるが、相互作用する1次元電子系の場合、久保公式を単純に適用すると実験と矛盾し、メゾスコピック系のコンダクタンスの正しい計算の仕方が問題になっていた。そこで、化学ポテンシャル差(電位差だけでなく、粒子密度差などの非力学的力を含む)に対する応答を直接計算する定式化を発表した[52]。その結果を見ると、不均一系に久保公式を適用するときに、原理的問題点が発生するらしいことが判ってきた。そこで、そのことを指摘しつつ、その問題点を解決する新しい定式化を提唱した[61,71]。これは、コンダクタンスの最終結果だけを見ると、(Clean なメゾスコピック伝導体の場合には)自由電子と同じ値になるのだが、その中身をみると、非平衡統計力学としての原理的問題を豊富に含む例になっている。電子輸送については、他にも、多準位量子ドットの近藤効果の理論も提出し、サイドピークの出現と、近藤温度の上昇を予言した[42,49]。

このような研究を通じて、開いた量子系の振る舞いにますます興味をもち、様々な物理系で広く見いだされる、相互作用する多体ボゾン(実効的にボゾンと見なせれば良い)系のボーズ凝縮について、ボゾンを閉じこめた箱が不完全でボゾンが少しずつ漏れ出す(つまり、散逸がある)ときの量子状態を調べた[67,73等]。その結果、通常使われている、Bogoliubov 近似の基底状態とか、ボゾン数の定まっている基底状態などは、いずれも、素早く(ミクロな時間スケールで)decohere してしまい、安定なマクロ状態としては存在し得ないことが判った。そして、散逸があるにもかかわらず、マクロな時間スケールの間decohere しない特別な量子状態を見いだし、それこそが安定なマクロ状態であると指摘した[73]。さらに、この特別な状態こそ、量子揺らぎの大きさが熱力学と整合する状態であることを示し、散逸を考えることで初めて、熱力学と矛盾する量子状態を排除できることが判った[74]。これは、量子系の古典化が、教科書に書いてあるような S/h の大小だけでは決して説明できず、深い問題を内包している事を示してもいる。さらに、たとえば量子計算機の計算途中には、実は、熱力学と矛盾する量子状態が現れるが、そのような状態の実現可能性についても、強い示唆を与える[未発表]。