自然現象は,我々が見るスケールによって全く違った振る舞いを示し,それぞれのスケール毎に普遍的な理論構造が隠れている.そして,異なるスケールの異な
る理論が,深いところで結びついて,壮大な理論体系を成している.このように考える現代的な物理学では,ミクロなスケールの理論の主柱が量子論であり,マ
クロなスケールの理論の主柱が熱力学である.もちろん,化学や生物学にも熱力学は欠かせない.
このように現代の科学の主柱となっている熱力学だが,昔から,わかりにくい理論だと言われている.プロの物理学者でも,プロになって何年も経ってからよう
やく熱力学がわかるようになってきたという話をよく聞く(筆者もそうだった).
そのようにわかりにくい理由は,熱力学の基本的な論理構成が,力学のみならず量子論や統計力学に比べても難しいからだと思われる.その高度な論理を,歴史
的な発展を追いながら教えてゆく従来の教科書のスタイルでは,十分に説明できていないのではないか?歴史は,熱力学を身につけた後で学べばよいのではない
か?
そこで本書では,歴史的な発展を追うのではなく,完成した熱力学の姿を最初から示すことにした.それも,適用範囲を限定した妥協した形で示すのではなく,
どんな熱力学系にも適用できるような普遍的な理論として提示した.
具体的には,相加変数を基本的な変数にとることによって,相転移があっても破綻しない堅固な論理構成とした(詳しくは1.3節).さらに,単純系だけでな
く複合系にも適用できる一般的な原理を提示した.また,相転移の理解に欠かせないのに従来のほとんどの教科書では解説されていなかった,特異性のある関数
のルジャンドル変換を詳しく解説し,それを用いて,既習者の多くが苦手とする一次相転移もきちんと解説した.
このように書くと,何か難しい本のように思われるかもしれない.しかし本書は,東京大学の教養学部の(物理を専門とする学科には進まない学生が大多数の)
1年生向けの講義ノートを元にしており,まったくの初学者にも理解できるように懇切丁寧な説明に努めた.その副作用として厚い本になってしまったが,それ
は説明が丁寧であることと,適用範囲を狭めて簡単化するようなごまかしをしなかった結果である.(薄い本では,内容かわかりやすさかどちらかが犠牲にな
る!)厚さに怖じ気づくことなく読み進めば,そのことを実感していただけると思う.
最後になったが,本書の執筆にあたり,大野克嗣,小嶋泉,森越文明,小芦雅斗,竹川敦,北野正雄,武末真二,向山信治,早川尚男,弓削達郎,加藤岳生,関
本謙,田崎晴明,佐々真一,杉田歩,戸松玲治,堺和光,山本昌宏,畠山温,加藤雄介,原隆,田崎秀一,本堂毅,原田僚の各氏には様々なご教示を頂戴した.
筆者の講義を受けた学生諸君の質問や指摘も有益だった.また,教科書の薄さを競う昨今において,東京大学出版会の岸純青氏は,このような厚い本の出版を推
進してくださっ
た.皆様に,この場を借りて感謝したい.
2007年2月 清水 明