昔、線形応答理論が定式化されつつあった頃、高橋秀俊先生は、この理論を量子系に適用することに懐疑的であったという。なぜなら、マクロ系の輸送係数は、系に対して連続測定を行って測るものなのに(交流電気伝導度の測り方を考えてみてね)、線形応答理論では、測定されていない時の時間発展である、ユニタリー時間発展を仮定しているからである。この批判に対する返答は、『常識では、マクロ系では、測定の反作用はきっと無視できる』というものだろう。この例に限らず、多自由度量子系の理論では、いつも、暗に、この、『マクロ状態の測定に対する安定性』を仮定している。これは、量子論のどのような構造が、どのような条件下で保証しているのだろうか?
この基本的な問いに答えるため、計算をしてみた。まず、有限体積の量子系では、この仮定に反する純粋マクロ状態が存在することはすぐ判る。さらに、そのような状態はクラスター性を持たないということを、きわめて一般的に示すことができた。つまり、有限体積の量子系の純粋状態の中には、測定に対する安定性を持つ状態も持たない状態もあるのだけれど、経験とか常識に合致する前者の状態は、クラスター性を持つ状態である、ということが示せたのだ。
これは、クラスター性の意味を考えると、ある意味では当たり前かもしれない。しかし、この事実の重要性がきちんと認識されているとも思えない。例えば、強磁性体、メゾスコピック伝導体の非平衡定常状態、ボーズアインシュタイン凝縮系、超伝導体を具体例に、安定・不安定な状態を例示することができるのだが、例えば、ボーズアインシュタイン凝縮系では、最近定説になっている、粒子数のぴったり定まった状態を選んでしまうと、任意の測定についての安定性がなくなってしまうことも示せる。それから、通常の場の理論は、基底状態と、有限励起状態(励起エネルギーが体積無限大でも有限にとどまる状態)しか扱えない。これには、マクロな非平衡状態(励起エネルギーが体積に比例して増大する)は含まれない。従って、クラスター性があるべし、という(無限系の)場の理論の要求は、マクロな非平衡状態についてどうなるのかは、何も述べられていない。これに対して、経験によると、マクロな非平衡状態も測定に対して安定である。ということは、経験と合致する理論を作るためには、マクロな非平衡状態についても、クラスター性を要請しなければならない、という指針ができる。
さて、この理論を、どういう形で発表しようかな?以上のようなことを、分かり易く書く自信はないなぁ…。
それにしても、線形応答理論は、計算そのものはいたってシンプルなのに、その背後にある物理は、きわめて難しい。ここに書いたのと別の問題(理論に出てくる外場と熱力学的な駆動力の関係が付けられない)も、きわめて深いのだ。この理論を、単なる1次摂動で自明、と捉えている人が多いのは、とても残念なことである。