統計物理学と凝縮系物理学の断絶 その1

2006/04/06 追記2006/04/07 追記 06/04/10

学会での発表者である伊藤研の芝君に、彼の仕事を批判していると誤解されてしまったの で、そうではないということを強調しておきます。

基本的に、下にある『「それ が実験事実だからそれでいい」とコメントした』という記述からも判るように、彼の仕事に文句を言っているのではありません。それどころか、 僕は、実験と合わない理論は自然科学としては無意味だと考え ていますから、実 験と合うということは、最重要なハードルをクリアしている(= 考えてみる価値がある)ということであり、彼はまだ修士の2年生なのに、と ても立派な仕事だと思います

僕は、彼の仕事が云々ではなくて、2つの業界の断絶をなんとかしたいと言っているのです。

以下に書いたことで言わんとする事はあまりよく伝わっていないようなのですが、何を言いたいかというと、次のことに凝縮系物理学で知られている範囲のこと を示し、「議論するならその先をやりましょう」と言っているわけです。

Q1.3次元の気体や流体では、統計力学で論じられている通常の設定では(実はこれも気に入らないがそれはおいておくと)試料サイズ依存性はない(ロング タイムテイルの効果は収束する)と考えられているが、なぜ格子モデルでは試料サイズ依存性が出ても不思議でないのか?(これが、学会会場では疑問に思われ ていたと思います)

Q2.なぜ非線形性があってもサイズ依存性が出るのか?(これも、どうやら、疑問に思われていたらしいです)

この2つの疑問に関して、凝縮系物理学では基本的に(最低次の近似では)「それが普通だ」「それでいい」となっています。(Q2の説明は書いてないです が、それはまた後で…。)だから、議論するならそれを共通認識の出発点にして、その先をするべきだと思うのです。もちろん、凝縮系物理学の最低次の近似 が、芝君の計算結果には全く当てはまらないかもしれませんが、物事の順序として、まず最低次の近似が当てはまるかどうか議論しましょう、ということです。

なお、「他のあらゆるパラメータを一定に保って、サイズだけを本当に無限大にしたらサイズ依存性は残るか」という問は、ほとんど物理的に無意味だと思うの で、僕は論じていません。僕が論じているのは、1cmとか10cmとかのマクロなサイズの物質の熱伝導度がサイズに依存するという異常な現象が起こる か否かです。

また、以下で「低温」というのは、(物にもよるけど)たいした低温ではないです。たとえば、空気の粒子を10mも散乱無しで飛ばすのは不可能でも、音は (常温でも)10m先に届くから会話ができるわけです。それほど(同じ物質の中でも)励起の波長の長短は重要で、大きな違いをもたらすと言いたいのです。

この続きはまた後で…。




最近、統計物理学と凝縮系物理学との間が断絶したようになっている事の弊害を 強く感じる。その例をいくつか書いて、もっと交流を深めるようにしていきた いと強く思う。そこで、まずは先日の松山の物理学会の非平衡基礎論のセッションでの議 論から。

伊藤研から、「非線形格子モデルで熱伝導度を計算すると、3次元でも熱伝導 度に(試料サイズ→∞で熱伝導度κが発散するような)試料サイズ依存性が出る」という発表があり、僕が「それ が実験事実だからそれでいい」とコメントしたら、会場にいた多くの方々にとっては、意外な事(あるいは信じられない事)だったようだ。(佐 々さんまで、断定的に、「全ての場合についてサイズ依存性はない」なんて書いている!)なお、以下の文章でサイズ依存性があるとかないとかは、Lがマクロな長さのときに、thermal conductivity がきちんと定義できるかどうかを言っています。

伊藤研のは格子伝導のモデルだから、なにはともあれ、初 等的な固体物理学の教科書である、ザイマン「固体物性論の基礎第2版(丸善)」section 7.10「格子伝導」を見て頂きたいです。特に、p.233に太字に なっている「このような試料の大きさに よる効果が存在すること は実験によって確認されている」を見てください。そこに書いてあるように、3次元でも熱伝導度に試料サイズ依存性が出ることは、凝縮系物理学では、理論的にも実験的にも、古くから知られていることです

固体物理に限らず、具体例の記述の背後にある一般性を読み取るには、読者に それなりの努力を要求するのですが、上記のことに一般性があることを読み取れるまで努力をしない(したくない?)人もいると思います。そこ で、少し解 説をします。(かなり簡単化して説明します)

熱伝導をミクロに見ると、様々な励起により熱が運ばれるが、その励起は、ひとつの物質中でも、一種類ではない。簡単のため。
(a) 個別粒子励起
(b) 音響フォノン
だけがあるとして説明しよう。しかも、熱伝導度κが、それぞれの寄与の和になる
    κ=κa+κb
と簡単化して説明する。

まずκaは、普通は
    (a)の平均自由行程 << 試料サイズ
なので、試料サイズ依存性はない。

一方、κbは、低温になるほど(b)が長波長になって、その結果、不純物や欠陥も(b)にとってはならされて見えなくなるから、低温では容易に
    (b)の平均自由行程 > 試料サイズ
となる。その結果、3次元でも、κbは低温になると試料サイズに依存する

絶縁体や(ドープしてない)半導体では、(a) が(熱伝導のエネルギースケールでは)ないので、κ=κbとなり、低温になると熱伝導度が試料サイズに依存する。特殊な物質ではなく、ごく普通の絶縁体や半導体が、である。ちなみに、伊藤研のは格子伝導のモデルだから、現実の系としては、 まさに絶縁体や半導体が当てはまる。

一方、金属や気体では、(a), (b)は両方とも存在する。そして、(これも上記の教科書の別のページに書いてあるし、直感的にも明らかだが)、
    κa >> κb
なので、通常の実験精度では、κの試料サイズ依存性は見えにくい。ただし、見 えにくいだけで、依存性はある(はずである)。

というわけで、僕の冒頭の発言になったわけです。統計物理学は、凝縮系物理学のこのような古典的な成果を踏まえて発展させるべきだと思うのです。

なお、サイズ依存性の仕方(関数形)は、実際の物質の中では複雑な事が 起こっているし、何が発散のcutoffになるかはT, ΔT, Lなどの大小関係に依存するし、実験では、サンプルサイズ依存性よりも、温度依存性(大きなサンプルで、κがTを下げるに従って、発散してゆく様子)を見 る方が普通なので、実際の物質でどうなるかは、様々だろうと 思います。上記の伊藤研の発表では対数になっていましたが、それは、モデルの個性だと思います。上記の本にあるように、もっと強 い冪の依存性も観測されています。しかし、最も大事なことは、個々の物 質の具体的な関数系よりも、κがサイズに依存するということが広く見られるという事実であり、それが固体物理では理論的にも実験的にも知られている、とい うことです。

「あのセッションで、ここに書いたようなことを説明すればよかったじゃないか」と思う人もいるかもしれないですが、それは無茶な要求です。まず第1に、質 問の時間に説明するような時間的余裕はない。第2に、出席者それぞれが理解している事項はばらついているので、上記のうちのどこを説明すれ ば判るのかは、一人一人違う。どこか一カ所でも理解していない事項を飛ばして説明されると全く判らないだろうし、かといって丁寧に説明すると、たまたまそ の人が理解している部分の説明にさしかかった所で「そんなこと知ってる」と、嫌な顔をする人が少なからずいる。第3に、「知っている」ことと「理解してい る」ことの違いが大きい。「これは知ってる?」ということは人に尋ねられる が、「理解してる?」は(僕も)答えに窮してしまう。

たとえば、ここに書いたことは、要約すれば、

A. 熱を運ぶキャリヤのうちの(b)のタイプの平均自由行程 > 系のサイズになる
B. 従って、κbが系のサイズに依存する
ということですが、「AならばB」はよほど特殊なケースを考えない限り は自明だと思うのですが、Aは自明だがBは認めないという人がいて、何を説明すれば話が通じるのか判らなくなったりします。しかし、このコミュニケーショ ンギャップを埋めない限りは、凝縮系物理と統計力学の溝は埋まらないのだと思います。

…まだまだ書くべき事があるのですが、つづきは、また後で…。

 

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