Keldyshグリーン関数では非平衡状態はわからない
2007/09/22
非平衡状態を研究していると、「Keldyshグリーン関数で計算すればいいじゃな
い」と言われることがよくある。つまり、Keldyshグリーン関数では非平衡状態がわかるんだ、と誤解している人が少なくないのだ。今ま
では一人一人に「それは誤解だよ」と説明してきたのだが、あまりにこの誤解が蔓延しているようなので、ここに書いておくことにした。
平衡状態であれば、我々はその状態が(例えば)exp(-H/T)であると知っている。従って、この状態における相関関数として定義された平衡グリーン関数は、well-definedであり、原理
的には未知の部分はない。もちろん、様々な物理量を計算しようと思うと、グリーン関数の具体的な振る舞いを知る必要があり、その計算は実際には難しい。そのため、平均場近似を行ったり、H
を悲摂動項H0と摂動項H1に、H=H0+H1のように分けて考えて、H1について摂動計算を行ったりすることになる。
つまり、平衡グリーン関数は、定義のレベルでは全く未知の部分はなく、困難
が生じるのは、具体的な計算の部分だけである。(具体的な計算が大変なのは、non trivialな物理をやる限りは仕方がない。)
一方、非平衡状態では、我々はそもそも、その状態を知らない。
つまり、与えられた(マクロな)条件の関数として非平衡状態を与える公式は、未だに
知られていない。むしろ、その公式を(もしも存在するならば)知ること
こそが、非平衡統計力学の最大の目標である。
ところが、Keldyshグリーン関数は、この未知の非平衡状態における相関関数として定義されている。つまり、平衡グリーン関数とは違って、定義の中に(原理的にというレベルでさえも)未知な量を含んでしまっている。
Keldyshが示したことは、仮に非平衡状態を知っているとしたら、
平衡グリーン関数と同様の摂動展開ができますよ、ということだけである。肝心の非平衡状態を求める処方箋を与えたわけではないのだ。
だから、非平衡状態が簡単に求まってしまうようなひどく単純なケースに
しか、使えないのである。そういう単純なケースとは、例えば、2つのreservoir(それぞれは平衡)の間にquantum
dotや高いバリアが挟まった系である。quantum dotの場合は、マクロな自由度がないのでdotがどんな状態であろうがマクロな非平衡状態ではないし(*)、高
いバリアの場合は、バリア内に粒子が存在する確率は微小である。したがってどちらの場合も、平衡状態にあると見なせるreservoirsが、
conductanceの悪い壁で接触したというケースに過ぎない。だから、普通の平衡熱力学で扱える系に過ぎず(例えば、僕の熱力学の教科書の9.4節
の後半のケースがこれに相当する)、現在の非平衡統計力学が
目指している非平衡状態とはま
るで違うのである。
もちろん、Keldyshグリーン関数の枠組みで、なんとかもっと非自明な非平衡状態を求めようという試みは、いくつか成されてはいる。しかしその中身
は、無限の過去から外場を断熱的に入れていこうという、久保公式を導出するときと同じものである。従って、久保公式が一般には、(久保の論文には2次以上
の応答の公式が与えられてはいるものの)せいぜい外場の1次までしか正しくはない(**)のとまったく同じ理由で、(上記のような単純なケース以外は)一般には、せいぜい外場の1次までしか正しくはな
いのである。
(*) 平衡状態からミクロにずれた状態は相変わらず平衡状態であるから、非平衡状態というのは、平衡状態からマクロにずれた状態のことである。
(**) については、この文献の
Section II.Aに解説
してあります。