研究のしやすさについての実地研究の結果を発表します (199?年に記す)
景気が良くて基礎研究ブームだったころの企業
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そういえば、僕が企業にいた頃(1984年4月から1992年3月まで)
に、企業にいたお友達の多くは、今は、大学の教官になってます。
同じ企業(というか、同じ研究グループ(^_^;))では、 電通大の富田さん、学芸大の藤井さん、姫路工業大学の新部さん、
東京理科大の鈴木さん、等々…。
別の企業では、 広島大学の上田さん、東北大学の小川さん、大阪大学の北川さん、
早稲田大学の栗原さん、広島大学の角屋さん、 総合研究大学院大学の井元さん、九州工業大学の藤原さん、
筑波大学の押山さん、東北大学の大野さん、東大の樽茶さん…ふう、疲れた。
とても書ききれないや(^_^;)
僕のお友達は、どうしてこんなに会社を辞めちゃうんだろうか? 不思議だなぁ…(?_?)
あ、他の人はともかく、僕は優良模範社員でしたよ。 ホントです。…ホントだってば!(>ね、そうでしょ、会社の人たち!)
付記:2007/10/04
上記のことを裏付けるようなデータを、同
志社大学の山口栄一さんからいただきました。許可をいただきましたので、ここに転載いたします。
このデータは自由に引用してくださって結構ですが、
必ず出典(山
口栄一著「イノベーション 破壊と共鳴」NTT出版, 2006)を明記してください。
日本の主要企業の「学術論文寄与度」(定義はグラフの縦軸にありま
す)の経年変化です。
この期間の前半ではまだ中の上ぐらいの規模の企業だったキヤノンが、寄与も
少ないのに
「主要企業」に入れてもらっているのは、山口さんが僕(キヤノンの中央研究所にいました)に配慮してくださったものです(;^_^A
これからわかるように、基礎研究ブームが終わる1990年前後に向けて、日本の主要
企業の学術論文寄与度が急激に増加しているのがわかります。
論文は執筆・審査・印刷のそれぞれの過程で一定の時間がかかりますし、研究者が企業から脱出して新たな研究場所を見つけるのにも時間がかかりますか
ら、このグラフのピークの数年前が本当のピークになります。それは
ちょうど、企業の基礎研究ブームの終焉時期と一致します。
その後、日本企業が急激に寄与度を減らすのと入れ替わりに、韓国のサムスンが急激に
寄与を増やしていますが、日本企業は大丈夫でしょうか?
「余分な」研究開発を止めて、過去の研究開発の遺産を食いつぶすような経営を
していると、短期的には利益は上がるでしょうが、長い目で見ると落ち目になるのでは?まあ、その頃には、ご自分は経営者でなくなっているから、知ったこっ
ちゃないのでしょうね。。。
学生さんへのメッセージ
このグラフをみて、「チェ、しみずとその友達は、うまいことやったな。今はそんなわけにはいかないじゃないか」と怒りたくなる人もいるかも知れません。し
かし、ちょっと待ってください。
僕がキヤノンへ入社しようと決めたのは1983年(入社したのは1984年)ですから、このグラフの1983年までを見て(それより右側を手で隠して)く
ださい。
論文の数の増加が停滞していた時期ですよね?
しかも、当時のキヤノンは年間売り上げが5000億円前後しかない、中規模の会社にすぎませんでした(大手の電気会社は数兆円です)。
だから、僕が、指導教官が勧めてくれた大手企業の基礎研究所を断ってキヤノンへ行くと言ったら、指導教官が心配してキヤノンを訪問調査しに行ってくださっ
た
ほどです。
ですから、僕がキヤノンへ行くという決断も、今、皆さんが企業に行くと決断するのと同じくらい、勇気の要る決断だったのです。
この雑記に書いたようなことは、「後から振り返るとこうだった」という話ですから、僕や友人が企業へ行くと決断するときには、誰も知らなかったことなので
す。皆さん
も、勇気とやる気を持って、ご自分の道を切り開いていってください。
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