11/2に書いた測定に対する安定性と、最近、宮寺君や浮穴君といろいろな角度から調べている、環境に対する安定性の関係を考えておかなければいけない。
よく、「測定の効果は環境による decoherence と同じだ」と言われる。もしもそれが正しければ、この2つの安定性は同じものになるはずである。しかし、結論から言うと、測定に対する安定性の方が、ずっと強い。そして、この方が、マクロ状態が安定かどうかの指標としてはふさわしいように思う。
まず、上記の迷信の誤り(といって言い過ぎなら、舌足らずな点)を直して正しく言い直すと、
「測定の効果は、測定値を捨ててしまえば、環境による decoherence と同じだ」
が正しい。例えば、
多数のスピンからなる量子系を考え、ある初期状態を用意する。
まず、、1番目のスピンのz成分 a を測定する。
続いて k 番目 (k >1) のスピンのz成分 b を測定する。
量子論だから、この実験操作をN 回繰り返し、その統計(確率分布)を見る。
…ということをやると、実験家の手元には、
a1, a2, ...., aN.
b1, b2, ...., bN
という、測定結果の集合が得られる。(ai, bi が、i 回目の実験で得られた測定値の組)
従って、実験家は、a のデータを参照しながら、b のデータを分析する、といいうことが可能になる。例えば、『ai
= 1 であるような bi だけの分布を見る』という事が可能である。
これに対して、1番目のスピンに対する測定を、環境による decoherence と見る立場では、実験家が得るデータは、b1, b2, ...., bN だけである。従って、a のデータを参照しながら、b のデータを分析する、といいうことができない。この違いは、時として決定的に大きなものになる。実際、測定に対しては著しく不安定なのに環境に対しては安定な状態、というのが作れてしまう!例えば、大きな格子の上の量子系で、たったの1格子点だけを環境と接触させると、 decoherence rate は、猫状態のような変な状態でも、普通の状態と同じ速さでしか decohere しない。しかし、測定に対する安定性は、猫状態はひどく脆弱で、普通の状態は頑丈なのだ。
実は、宮寺君と、マクロ状態の安定性を議論したときに、安定性の指標については、環境による decoherence rate では何かが足りないと感じていたのだが、それが判ったように思う。ここが判ったことで、他の、僕が前から興味を持っている問題に対しても突破口が開いたように思う。それについては、また後日書く。
なお、量子論では、このように、「どういう実験(操作と情報処理)を行うか」という事を考えないと、正しい結論が得られないということがある。数式のうわべだけ見ていてはダメなのだ。例えば、フォンノイマンの本に書いてあるような混合アンサンブルによる記述を行うと、測定に対する安定性と、環境に対する安定性が完全に同じに数式で書けてしまう。混合アンサンブルによる記述には、暗に仮定があるのだ。その仮定を正しく見抜くには、操作論的な意味を考える必要があるのだ。「物理的意味を考えなさい」というのが、他のどの理論よりも大事なのだ。そういう意味では、量子論は熱力学に近く、古典力学や古典電磁気学とは遠い。こういうことはとても重要なのに、誤解や認識不足が蔓延しているように思うので、またそのうちに何か書くことにしよう。